教養学会の使命
教養学会の生い立ち
教養の重要性は、長きにわたり、各界を代表する論者によって語られてきました。そうした主張に触発されて、難解な本を手に取った方も少なくないでしょう。
ところが、そうした声とは裏腹に、教養教育のあるべき姿が具体的に提示されたことはなかったように思われます。何をどれだけ学べば、教養は身につくのでしょうか? この問いに答えられる人はほとんどいないでしょう。
また、せっかく教養を学ぼうと思い立っても、これといった教材や講座はなかなか見当たりません。教養講座と銘打った講義や書籍の多くは、どちらかといえば薀蓄や雑学の類であり、私たちが期待した教養とは別物です。
教養をとりまく状況はこのように曖昧模糊としており、多くの学習者と教育者を困惑させ続けています。そうだとすれば、誰もが気軽に、体系的に学べる教養が今こそ求められているのではないか? こうした問題意識から生まれたのが教養学会です。
<教養>の定義
改めて、教養とは何かを考えてみましょう。
教養とは古典を読むことでしょうか? 幅広い知識(リベラル・アーツ)を覚えることでしょうか? それとも、伝統文化に精通することでしょうか? 確かにこれらは教養の一部かもしれませんが、明解な説明にはなっていません。
そこで教養学会では、教養に関するさまざまな文献を研究しました。その結果、<教養>とは「適切に意思決定する能力」という定義が妥当という結論に達しました。
<教養>とは、状況に応じて的確に判断し、毎日をより善く生きるための知性です。論理的な整合性だけで満足するのではなく、経験、感性、価値観、倫理観をも総動員して、森羅万象に照らして物事を考える力。そのうえで、それらを日々の生活で実践して活かす力。これが教養学会の目指す<教養>の姿です。