教養学会の使命
<教養>を支える知の構造
それでは、<教養>をどのように学べばよいのでしょうか? ここでは、適切な意思決定を支える知について考えてみます。
まず最初に思い浮かぶのは、幅広い知識です。知識なくして考えることはできません。教科書に記載されている客観的な知をギリシャ語でエピステーメー(episteme)と呼びます。日本では形式知とも呼ばれています(ただし誤用です)。
しかし、知識だけに基づいた思考は、机上の空論に陥ることが少なくありません。実行に移したら、想定とはまったく違っていたという経験をした人は少なくないでしょう。そのような時に助けになるのは、過去の経験や勘などの主観的な知です。これをギリシャ語でテクネー(techne)と呼びます。日本では暗黙知とも呼ばれています(ただし、これも誤用です)。
もう一つ忘れてならないのが、価値観、倫理観、感性といった人間の根源的な知性です。私たちは、論理的にはいくら正しくても、感覚的になんとなく納得できないことがあります。このような総合的な判断に作用する知をギリシャ語でフロネシス(phronesis)と呼びます。
フロネシスは伝統、宗教、思想の領域に踏み込む知性であるため、日本の学校教育では敬遠されがちな分野です。しかし、アイデンティティーにかかわるこのフロネシスは、本来もっとも重視されるべき知性といえるでしょう。
教養学会では、この3つの知性をバランスよく涵養することが、適切に意思決定する能力の向上につながると考えています。
知の現在
次に、知の現状を概観しておきましょう。
20世紀は知の爆発と形容されるほど、膨大な知識が生み出された時代でした。そして21世紀の現在、知識は今なお級数的に増え続けています。
最先端の理論はすぐさま現実に応用され、実用化されるまでの期間もますます短くなってきました。それらは知らず知らずのうちに、私たちの生活に多大な影響を及ぼしています。つまり、最先端の知と日々のささやかな生活は密接な関係にあるということです。
日常生活を健やかに過ごすためにも、私たちはすべからく知の全体像を俯瞰的に把握すべきといえるでしょう。
しかし、知の全体像を把握することはきわめて困難です。
知は還元主義に則ってますます専門化していきますが、結局は統合されることなくタコツボ化し、共約不可能なほどに島宇宙化していきます。しかも、細分化されたそれぞれの分野に存する知の総量は膨大です。それに加え、時代の進展とともに、役割を終えた死知識も増加し、知の全体像はますます見えにくくなっています。
インターネットの登場により、断片的な情報の入手は容易になりました。しかし、生兵法は怪我の元でもあります。その分野における体系的な理解がなければ、誤った判断を下しかねません。
現状を喩えるなら、私たちは、知の大海原を漂流する難破船のようなものです。この複雑な現代社会により善く生きるためには、知の大海を見通すための地図が不可欠です。自分の中にその地図を描くことが、<教養>の向上させるための第一歩です。